施設案内
旧田中家住宅の見どころとしてまず挙げられるのは、川口出身の職人達の手による、高度な建築技術と質の高いデザインを兼ね備えた、往時の川口商人の繁栄を物語る建築物であることです。建築主である四代目田中德兵衞が材木商を営んでいたことから、材木をはじめ、煉瓦などの建材に強いこだわりがうかがえます。
また洋館の調度品は、ロココ調とジョージアン様式のスタイルを持つ家具によって統一され、迎賓施設としての格式を高めています。
旧田中家住宅は商家としての一面も持ち、かつて携わっていた味噌醸造に関する施設も、一部が倉庫として残っています。このように味噌醸造業の近代化遺産としての価値も併せ持った文化財といえます。
洋 館
大正10年(1921)起工、同12年(1923)竣工した煉瓦3階建ての当時としては非常にモダンで立派な洋館です。壁は化粧用煉瓦を張ったイギリス2枚積みで、ルネサンス様式の流れをくむ優美な外観を有しています。創建当時は階段室を起点としたL字型のプランでしたが、のちに蔵部などが増築され今の形状になりました。
1階は玄関・応接室・食堂・階段室等から構成されています。玄関は正面の帳場に神棚が設けてあり、街道沿いに並んでいた商家のスタイルを残しています。土間の床は人研飛び四半敷、腰壁に黒漆喰、天井は折り上げ格天井と和風の仕上げです。応接室は玄関と直結した造りになっており、寄木張りの床、中心飾りのついた格天井を持ち玄関とは違って洋風の仕上げになっています。玄関奥は食堂となっており、使用人達が食事をとるのに使用されました。食事をとる使用人と客人の目が合わないように目線の位置に横帯が設けられているといわれており、細やかな配慮がうかがえます。階段は3階まで続く縁甲板張りの折り返し階段です。
2階には主人の書斎・座敷・2階展示室などがあります。書斎は寄木張りの床に、中心飾りを持つ折り上げ格天井で、洋風の仕上げになります。座敷の一部には黒檀や希少な黒柿などが建材で使用され、材木商でもあった四代目德兵衞の木材に対する強いこだわりが見て取れます。2階展示室は、かつて蔵部として家財を守るために使用されており、頑丈な造りとなっています。現在は旧田中家住宅や田中家に関するパネル展示を行っており、より深く旧田中家住宅を知ることができます。
3階は大広間・控えの間・3階展示室があります。大広間は迎賓目的で設けられており、ジョージアン様式を基調としつつ、イオニア式の特徴も一部に見られる洋式の部屋です。通常、迎賓室は1階に配置されますが、田中家では眺望を重視して3階に迎賓室を設けたと考えられています。かつて大広間からは付近を流れる芝川や荒川の他、晴れた日には富士山も見えたといわれています。大広間に隣接する控えの間は客人の休憩スペースであり、客人の逗留も考えて各室の配置が計画されていたことがうかがわれます。3階展示室はかつての蔵部などの増築部分であり、現在は田中家が精力的に行ってきた味噌醸造に関する展示を行っています。また味噌以外にも旧田中家住宅が所在する南平地区の歴史のパネル展示も行っています。
和 館
昭和9年(1934)に竣工した木造2階建ての寄席屋根を載せた、長方形の数寄屋造りの建物です。和館竣工当時、四代目田中德兵衞が政界に進出していたことや、和館の部屋の造りから、和装による接客を意図して建築されたものと考えられています。一説によると、多い時には70人程の来賓を迎え、フォーマルな儀式を行ったといわれています。
1階は迎賓のためのスペースで、西側から仏間・次の間・座敷・手洗い場・便所が配置されています。要所要所に屋久杉や各種一枚板、柾目の建材などが使用され、木材に対する変わらないこだわりが垣間見えます。また、座敷の欄間に彫られた松林桂月の作品を基にした彫刻も見どころの一つです。
2階は、和室・次の間などで構成されており、和室にはかつて奥方のベットが置かれていたといわれています。実際、この部屋にのみ赤漆が使用されており、女性用の部屋として、建築当初から意図されていたのではないかと推測できます。2階もまた檜の絞り丸太をはじめ、要所に1枚板や柾目の建材を使用するなど、木材に対するこだわりは随所に見られます。
1階に関しては貸室としてご利用いただけます。詳しくは「ご利用案内」をご覧ください。